藤原直哉氏 令和4年11月 時事解説・時局分析 個人的メモ&動画書き起こし

はじめに

株式会社あえるば」が提供している、国際経済アナリストの藤原直哉氏が語る時局分析・時事解説(無料版)Youtube動画の個人的な備忘録です。

メモの内容は私の意見ではなく動画で語られている内容の要約である点を予めご了承ください。

動画リンク

内容

時局の話はtwitterやFacebook等でお話している通りで、終わりの話が形になってきた。例えば金融はこの1,2か月で大損した人が沢山いる。ウクライナについてもウクライナに勝ち目はなく、西側が完全にあぶり出されている。ノードストリームの爆破事件は英のトラス首相がやったと、ロシアもイギリスがやったと断定している。黒海艦隊への攻撃もイギリスがやったと断定している。ロシアはイギリスの意思決定中枢を攻撃することができる。ロンドンをポセイドンという魚雷で攻撃することもあり得るわけで黙示録の世界そのもの。イスラエルはネタニヤフが選挙で勝つ見込み。イスラエルは世界から孤立しても力で生きていこうと思っているのか。

生き方は人それぞれとなってきて、それぞれ結論が出てくる。出た結論を元に本人が考える。それ以外に何も道は残されていない。

1、国内外の政治と経済はひたすら溶けていく

自民党は溶け始めたソフトクリーム

嘉手納の米空軍F-15が撤収して巡回配備になる

ウクライナ戦争でEUもNATOも内部から溶解しつつある

未曽有の金利引き上げ継続で西側の国際金融市場は一巻の終わり

不景気と物価高を生きる

何も今、新しいものは生まれてきていない。岸田首相がどこまでやるか分からない。どうもオリンピックの汚職がかなり深い。もう自民党は開き直り状態で統一教会も維持しており一蓮托生。
アメリカのバイデン政権と今の自民党政権はよく似ている。もう何も出来ることは無い。耳をふさいで目をふさいでいるだけ。戦後のアメリカの日本支配が終わったということそのものだと思う。

F-22という次の世代の戦闘機がアメリカから巡回配備になるとのことで、逆に言えば日本には無いということ。アメリカが日本から帰るということがハッキリ分かる。
理由の一つは沖縄では北朝鮮や中国と戦争になった場合守り切れないということだ。グアム、アラスカやオーストラリア位まで撤退しないとアメリカは危ないと見ている。
ということは、日本は戦争したら一巻の終わりになってしまう。

アメリカが日本に寄生して、日本を起点に東アジアを支配し、冷戦の東側の行動を作っていった戦後の冷戦体制が終わる。西はドイツを起点にウクライナをけしかけて、ウクライナで戦争を起こしてロシアを巻き込むというやり方だったが、今まさに破綻している。東西の冷戦構造が終了。

アメリカではトランプが出てきてバイデンが追われて全て暴き出されるのだろう。ドルも米軍も帰っていく。11月はそれが形になってきた。金融市場もどこまでも金利が上がっていく。国際金融市場は一巻の終わり。そういう意味では何の変化も起きていない。

時局は先月位でほぼ形が出来てきた。ロシアは圧倒的な軍事力でウクライナの電力を止めて全面戦争をする準備をしている。11月半ば以降、地面が凍り出してくるからそこから一気に出てくるだろう。
しかし、考えてみれば2月24日のウクライナ戦争開始の1か月たった時点で、ウクライナは音を上げてトルコのイスタンブールで和平交渉を始める見込みだった。しかし、アメリカとイギリスを中心に金と武器をその後ガンガン送った。今年3月下旬以降、欧米がウクライナを代理として第3次世界大戦をしていた。これはロシアの勝ちでいよいよ終わりということで見えてきた。

そうなると金融も軍も終わりとなり、後はみんな責任が吊るしあげられて壊れていくだけ。壊れていくところを撤退しながら立て直そうというのがトランプ。

EUとNATOは完全に滅茶苦茶になっている。これらは自分たちの中で統一した意見を持つことできず、意思決定ができていない。これは強烈なこと。
金融についてはここまで金利を上げるともう無理。デリバティブズが多く、レバレッジをかけてるものが多く、更に新興国や色々な資源とか流動性が低いものが多く、ロシア絡みのもの、制裁がかかっている中国への投資など既にアウト。
トランプたちは今のドルを一気に安くして、実質的にドルを踏み倒すつもりだろうが、これをやるとアメリカに投資したものも終わり。
日本も外国へ持って行ったものは一巻の終わり。ロシアはロシア人で小金持ちはルーブルが怪しいので外貨を持っていた連中がいたが、制裁で引き出せなくなって没収されてしまった。プーチンは前からゴールドかルーブルで資産を持てと言っていた。

今の国際金融市場はロスチャイルドが作った世界を金融で一元支配しようとする枠組みで、それが終わっていく。世界は人口が横ばいないし減りつつあり維持し続けていくことは難しい。
中国でもインドでも借金が多すぎて経済が西側にずいぶん重心をかけてしまったので、足を抜くのは難しい。切るものは切り潰すものは潰さないかぎり残らない。ある種の革命で、政治的にそれは重大なことになる。

習近平の三期目はイエスマンばかり。何が事が起きればあれでは混乱するだけ。一巻の終わり。自民党も人材難だが中国はもっと人材難。

今日改めて時事の話を付け加えることはない。みんなひたすら溶けていく。それ以上の表現はいらないのではないか。これからどうするかという話だが、上がった下がったとか誰が首相になるとか関係ない。誰が上に立とうがどんな政策を持っていこうが変わらない。

近未来はやはり不景気と物価高。日本も今、徳政令が出ているようなもので債務免除が始まっており、アメリカでもバイデン政権が学資ローンの免除を始めている。
なので、なるべく個人の生活は助けようという方針。ここは一つあるようだ。だからこそ、ファンドだとか大企業とかは徹底的にやられるわけである。

不気味だと思うのは体調が悪い人が多い。腹から元気出てる人がだんだん元気なくなってきている様子を見ていて感じている。本人も気づいているのか知らないが、元気が腹から出ていないのは体調が悪いのではないか。100%とはいわないが、だんだん増えている気がする。それはただ単に仕事が忙しいとか生活が不安だとかではないんじゃないか。そんな具体的な問題ではなく今一つ身体がかったるいという感じ。打たなきゃいいものを打ってしまったのでしょうがない。後は何とかするしかない。

もう後ろを見ていてもなんもない。ひたすら屍が累々。ウクライナ軍だって30万から40万死んでいるという話。アメリカイギリスがウクライナを使って、3月の和平を蹴って戦争を継続させてこれだけの数が亡くなってしまった。これは欧米によるまさに大量虐殺である。欧米も無事では済まない。

後ろを見ていも何も変わることは無く、物事が変わることはなく、順番に来たんだなという、末期の病気だと順番に症状があらわれていくようなもの。本人たちも何も考えられないし行動できないようだ。
欧米だって戦況がこんなことになって逃げまわっているだけで何もできないのだろう。中国も金融の破綻は止まらないし国民の怒りも止まらない。力で抑えているだけだが、抑えている方が反乱起こしたら一気に終わり。
革命やクーデターは側近がおこすもので、上になびいてメリットがあるものがあればすぐに寝返る。本物の忠誠心が無い組織が中国共産党、いつ何が起こっても不思議ではない。

今日は後ろの話はもういいとして、前の話をする。令和の流れは平成のマイナーが令和のメジャーになってきたということ。観光立国や健康立国が形になってきた。
製造業も残るが、何のためにモノを作るか。人々の生活や仕事を支えるためにモノを作っている。人々は何のために動いているかと、地域を興して健康を第一にしていく。そういうところに向けて何かモノづくりもあるし、何が出来るか考えていく。

観光立国は時代の方向性で、その中にモノ作りも農業も含まれる。お客さんがどこを向いているかで判断すればよい。
脱グローバリゼーションについて、前にこういう資料を用意した。健康立国の時に作った資料なのでこれを最初に説明しておきたい(下の画像を参照)。

健康立国は3つの柱がある。「1がストレスのない職場、2が病気にならない生活、3が安心できる社会インフラ」

1つ目のストレスのない職場は、多くの疾病や不調は職場のストレスが生んでいる。新時代にふさわしい経営革命と働き方革命を通じて、職場のストレスを抜本的に減らす。
例えば、恐慌に今なってきていて、物価も上がり海外だと金利も上がっている。ロシアはアメリカ陣営から離れ中国も滅茶苦茶になり、今までのやり方でビジネスのやり方は進まなくなってきている。本当に新しいことをドンドン進めて行かないと会社は続いていかない。
ストレスを抱えて出勤するのがやっと、決められたことをやるのがやっと、それでもブツブツ文句をみんなが言っていて、決められたことすらできない組織がこれから大恐慌を乗り越えて新しい時代を作れると思うか。
政府もだめで安く出来ないし海外にも頼れない。今までの延長線上で言われたことだけをやっている人たちが集まって、それでもみんな不愉快な思いで仕事をしていて、そんなことで全く未来は作れない。そんな組織はこの恐慌で終わる。
本当の意味での働き方革命はボトムアップで会社を動かさなくてはいけなくて、それがどういうものかというリーダーシップは前からネットでもお話している通り。いよいよその成果が出てきた会社が結構ある。なんだかんだまともなところはまともで、業績もあがりやる気も高まっている組織はいま珍しくない。そこにシフトしていく。
大きい所は大体滅茶苦茶だが小さい所で頑張っているところは結構ある。マイナーがメジャーになっていく交代期にある。

2つ目の病気にならない生活は、いかに健康を増進し、病気にならないかの実践的方法を、あらゆる分野の知恵やイノベーションを駆使しして確立し、国民全体でそれをシェアし、実践していく。
色々な健康法はあるが、それ以上に病気にならない生活が大事。コロナで職場に通勤しなくてよくなったのは、あれもだいぶ健康に宜しい。クレイジーな通勤をしなくてよくなったというのは健康には実に宜しい。
後は食べるもの。食べるものをよくしていかないとどうしても健康には無理がある。
なので病気にならない生活は草の根の世界の実践はかなり進んでいて色んな発明もあり、気が付いた人は色んな工夫をしている。予防の意味を超えて常に健康に生き続ける、その為の生き方。

3つ目が安心できる社会インフラで、本格的な健康の増進には安心・安全の衣食住空間が必要であり、それをサポートする新しい社会インフラが必要である。資源、エネルギー、交通、通信、土地利用、都市計画、産業、教育研究、職場、住宅、生活など、あらゆる社会インフラを健康増進の目的に向けて斬新なイノベーションを駆使して再構築していく。

コロナの反省もあり、社会インフラのリノベーションの話は出ている。社会インフラは分散型を基本に柔軟に作っていくことが基本。多様性も無いとまずい。そういうものはだんだんできてきている。

健康立国三本柱はそれなりに進んできている。今までの小売りや製造は、一生懸命金を稼いで車買って家を買ってみたいな単純な話だった。もうその時代は終わった。
もっと大きなことの為に働く。非正規も人を安く使いたいがための手段であったが、これから人手不足だから、そんな水臭いような働き方をさせていたら会社がもたない。マニュアルもたして非正規にやらしているのはリノベーションには何もならない。そういうことばかりやっていると仕事が亡くなって会社が潰れていく。
すると自分たちで何とか考えてやっていかなければいけない。大変と言えば大変だけど新しい仕事を生み出していかないといけない。それが時代の転換期。

そして、言葉の変化についても書いている(下の画像)。

これを書いたのが6,7年前だが、言葉が変わってきている。左の言葉が昔の言葉、右の言葉が最近の言葉。この古い言葉と新しい言葉で文章を作っていくととても興味深い。

古い言葉を使った文章がこちら(下の画像)。

もうさすがにこれをそのままやっている組織はないと思う。コロナとウクライナ戦争と猛烈な利上げでこれは吹っ飛んでしまった。

一方で新しい言葉を使った文章がこちら(下の画像)。

戦争とか騒いでいるのは前の世界の人たちが死にたくないから騒いでいる。新しい世界に行くと自分たちの居場所がなくなる。古い世界に留めおきたいからワクチンや戦争で脅かし、従わないと壊していくとしたが、自分たち自身が金利を上げて自家中毒になって内部溶解がはじまっている。

だから古いモノの延長線上でやるという連中には全く未来がなくなった。この新しい世界は馴染んでいないと全然分からない。なんでこういう新しい世界が動くのかは古い世界の人には想像がつかない。しかし、平成の30年間に後者の世界はいくらでも試されて形が出来てきた。すなわち、後者の世界は平成のマイナーな時代の生き方で、これがこれからメジャーになってくる。そういう意味で行けば平成の時代のメジャーがこれからのマイナーになる。

世界を見ていても量の世界のトラウマは凄く強い。新興国も人口がだいぶ減ってきたが今までは量の世界で生きてきて人々の価値観はそう変わらなかった。しかし、今回のバブル崩壊で古い世界の主人公たちを退場させないと、なかなか新しいとこにはいかない。日本は世界に先駆けバブルが崩壊したので交代は済んでいる。自民党や大企業は実際にいまだにトンチンカンにいるが、ウキ草のような存在でメディアで大きく見せているだけ。
もうこういう時代になった。この時代の人たちは政府は関係なく、日本はおさめずして治まる国。

政府の力によって生活が変わることはあるが、生活が変わるから幸せになるとは限らず新しい苦労が増えるだけ。例えば農村がドンドン近代化していくと出稼ぎにでなければということでかえって苦労したり、感染症がなくなれば寿命がなくなるが年寄りの世話をどうするかという問題が出てくる。インフラその他は明治の昔は自分で道を作っていたし、電力だって地域ごとに自分たちで作っていた。政府はそれを助けるだけ。政府直轄でやった満州。これが戦後本土の方に流れてきた。しかしそれも新しい時代が来て、道が開通して過疎がはじまっちゃったとか苦労はいくらでもある。

これらを全部自分たちで何とかするのが日本人。さっき書いたことはこの国に長く暮らしている人にとっては当たり前の事。だから、古い時代のものが変だったということ。何をやっているのかと、良い大人が都会に行って何をやっていたのかと。めちゃくちゃやりおって、東京を吹き飛ばしたと、銀行を吹きた飛ばしたと。故郷の自然が分かっている。

しかしこれからの世界がこの価値観を理解するには時間がかかる。世界全体で見れば結構大変だと思う。

ここで平成15年に書いた私のメモをお見せしたい(次の画像参照)。

これは当時、小泉内閣で既に行き詰っていた時期。規制緩和で外国投資を呼び込んだり郵政民営化と言ったはいいが、国民は激しく反対。当時はシンクタンク藤原事務所と名乗っていて渋谷に所在していた。
平成15年、当時政権関係者から何かアイデアを求められた際に、私が観光について書いた紙。
平成15年の時点で(紙に書いている)細字の言葉はうんざりしていた状況。では、太字の言葉で組み立ててみようと。

まず生活をキチンと立て直し、非営利団体もますます活躍しなければいけない、これからは循環型社会で、世の為人の為が最初に来るのだ、と。

これらの新しい言葉を使った文章は極当たり前に入ってくるだろう。一方で細字の文章は今の人に言ったらいつの時代の人だと言われる。昭和の遺物みたいな話で、中国はじめ新興国もトランプが大統領になる2016年位までは細字の世界で来ていたと思うが、トランプが大統領になり中国をひっぱたき、コロナとウクライナ戦争があり、望んでも達成できない完全に過去の世界の話となってしまった。

世界は、この黒字の言葉が見えないまま、細字の世界が消えて行って混とん化しているところが多いように見える。
しかし、日本の場合、平成15年の段階で黒字の言葉は当たり前のように使っていた。これから20年近くたったのでだいぶ動いたように見える。

まず、基本的に、観光立国が外国人を呼ぶとは全く書いていない。ビザの自由化をしたら勝手に外国人が来ただけの話。要するに、観光とは地域おこしのこと。その土地の衣食住のスタイルを確立してそれを満喫できるようにすることが最大の観光資源でみんなが来てお金を落としてくれるよと、そうしたらお年寄りが多い街でも観光で地域を支えることができる。観光は今教育生活文化を全て変えていくこと。実際には都会の子供も農業体験をしたり、古民家や伝統文化に接するとかはごく当たり前になってきた。要するに観光とは光を見ることであるから、教育生活文化の中に光が見えてもそれは観光になる。山村留学や中山間地の古民家暮らしや地域のお祭りをみんなでやるとか、進んできている。日本らしくなってきている。ここで明治朝政府は一巻の終わりで日本らしさは更に戻ってくる。

さらに色んな発明をあちこちでしている。発明と組み合わせると日本のクオリティはあがる。技術開発もあちこちやっているし、観光立国は非常に広いフレームワーク

小泉内閣は郵政民営化で殆ど力を使い果たした。おまけに靖国まで小泉が行ったものでアメリカが怒り出していた時期。政府がいくら金を出しても民営化は進まなくなった。反対に観光立国は小泉内閣の時にやったが殆ど政府はやっていなかった。観光庁はただの業者取り締まりの事務をやっていただけで観光などやっていない。これが日本の力、地域・成熟・質・N生活・NPO・循環・世の為人の為、こういう価値観なら日本人は動く。
質の時代になったら地方でこういうのは一気に動く。観光立国は誰が指揮をとらなくたって今でもどんどん広がってきて、どんどん新しい事をやってきている。動き出したエンジンは永久機関のように動き続けている。これが日本の本当の力。観光立国を見ていると日本は治めずして治まる国ということが良くわかる。

みんながそうだと思う方向性だけを提案すれば、後はみんな動き出す。小泉純一郎も人気の終わりは規制改革や郵政民営化など上手くいかず、観光のことばかり言っていた。マイナーなものがメジャーになってきている。
これは20年前の話だからこの間に外国人が来る地域は来て、反省もあるし学んだこともあるだろう。これを踏まえて単なる観光業だけでなくその地域の衣食住をどう確立するか。住宅も交通機関、エネルギー全て、教育生活文化まで、体系的に組み上げていくことが令和の方向性となる。

本当の意味での光を見る、総合的な地域再開発がメジャーになってくるのが令和。その基本が地方にあると言いたい。もちろん、東京も下町のように地方としての東京がある。
光が見えない世界は、夜は誰も住んでなくて昼間サラリーマンだけいるようなところ。これは便利だから通うだけの地域。その地域に相応しい衣食住は安定させられない。

2つ目は日本列島復元10か年計画。これは進むところは進んだ。景観を大事にすると九州の黒川温泉のように人は来る。昭和、大正、明治の景観など色々ある。里山、中山間地の綺麗な風景。都会では見苦しい汚い看板を撤去する。空き家の話が問題となっている。使われなくなった公共事業のものをどうするか。トンネルや用水路など、難問山積だが、やっぱりそれは元に戻すべきだという意見が強いと思う。日本の自然の力は凄くて、人口増加時代に仕事もなく生活もなかったので奥の方に奥の方に人々は開拓していったが、人口も減ってくればもっと便利で安全なところに住めばいい訳で、奥地は見捨てられて下におりてきた。10年もすれば元の場所も分からないくらい自然に帰ってる場所もある。福島の放射能の問題は根深い。補助金欲しさに汚染土を持ってくなという地域もあった。国も電力会社も原子力については腰が抜けてしまった状態。いずれにせよ何らかの形でこの国の風土を回復させないといけない。

やはり観光地と言っても景観なんだと思う。私が印象的なのは箱根で、平成になってお客さんが一気に減ってしまった。昭和のような団体客がいなくなった。全山火が消えたようにお客がいない時期があったが、箱根の景観は徹底的に守っていた。そしたら今はずいぶん元気になった。
いろんなタイプのお客さんが来る。高級志向も安いもの志向も、外国人も国内客も、日帰り客も宿泊客いる。景観がいいと人が戻ってくる。景観は大事。
日本列島復元も観光とあわせて時代が変わったのだから街も切り替えようということ。人口増加時代に作ったいらないものは撤去するなり自然に返すなりして、自分たちでもう1回使える範囲に戻しちゃおうということ。

3つ目が土からはじめる個人経済復興10か年計画。これは進展した。
幸いなことに莫大な失業者が飢えて徘徊するような時代にはならなかったが、非正規になってしまったとか、図らずも長く勤めようとした会社を首に鳴ったり潰れてしまったという人はかなりいた。
専業の農家として頑張った人も結構いた。自然栽培、自然農法、さまざまな有機農法など、新しい農法も出てきた。農事組合法人を作り6次産業を興した人もいた。あと、家庭菜園。土に触って人生を立て直した人はすごく多かったと思う。
今みたいに物価が高い時は自分の庭先で野菜や果物がとれればスゴクありがたい。成りが多少悪くても安全なものがいいという人は多い。
もし、土というものを触らないでいたら中々日本の穏やかな今の雰囲気にならなかったと思う。観光もその真ん中に農業が必ず入っている。ここを拠点に行かないとやはり難しい。商業だけだと人の出入りが激しくなるばかり。農地を置いておいて人が定住しておかないと街もドッタンバッタンで大変になってしまう。例えば農地を潰してショッピングモールを作ったとしても、工場が移転したり他所にもっと大きいショッピングモールが出来て人がいなくなってしまったら何も残らなくなるだけ。
農地を壊して工場だとか倉庫だとかショッピングモールにすると、もう元に戻らなくなるので、経済的に衰退するとそして誰もいなくなったというのは多いでしょう。やっぱり土を入れなかったら難しかったのでは。

そして、家庭菜園だと毎日の手入れがあったりちゃんとやることがある。動物を飼うのと同じように植物を育てるのも毎日やることがある。工夫した分だけ成果は出てくる。社会が混乱して不景気になって殺伐とした状況となっても自分の足元が安定することになる。

土からよみがえって人も結構いる。専業農家になって成功した人も結構いる。そこまでいかなくても土によって救われた人は結構いる。

昭和の教皇の様な失業は平成の時代はなかったが、これから先は良く分からない。例えば、東京で大地震があったら地方に行くだろう。東京だけでなく日本は災害が多い国で思ったとおりに住めない場合もある。とりあえず自分の元気を取り戻して最低限の生活をする場所が必要。今はヨコのネットワークがあるから、昔のように100%百姓というわけでなくてもいいが、自分の自立が大事。

二宮尊徳が言っているように、働きに出て金をもらってても、いつまでたっても自分は自立できないということ。それでは人生は進まない。
土地を耕して作ったものを売っていけば自分の収入になって貯蓄すれば更に土地を増やすことができる、それが二宮尊徳の方程式。
いまもそれは生きていて、土に相当するものが仲間がそうだろう。たまり場、仲間がここでいうところの土。失業者のバッファーはたまり場であり仲間である。そこまで行けば今でもイメージがわくと思う。とりあえずそこに戻る場所という意味。

食事作りは若い人たちも関心がある。料理が上手な人も栄養のことを考えている人は多い。食育なる言葉も当たり前に使うし、これは新しい日本人の方向性を示している。

いろいろ10年前にさらっと1枚書いただけだが本当にこういう時代になったと思う。マイナーがメジャーになって更に発展していくだろう。
時代が変わるときに必ず新しいものは足元で広がり未来を作っていく。だから、足元を見る事が非常に重要で、足元はマイナーであり、それが次のメジャーになっていくのである。
特にコロナで健康が第一ということになってきたし、観光とは地域興し、IターンもUターンも結構いる。空き家の取り壊しから始まって日本列島の復元も進んでいる。こういう延長線上にいろんなチャンスはあるから、この中でITでも医療でもやってもいいし、人々が何を求めるかを探ることだ。

昭和30年位の日本で言ったら近代化という言葉を使った。19世紀的な農村の貧困の世界を捨てて近代的な世界にしようという取り組みだった。着物から洋服、自転車からオートバイ、車と、なんでも近代化だった。近代かというフレーズの中でモノもサービスも次々発展していったのが戦後の昭和だった。それが昭和の終わりでその目標は達成され、平成に入るところから大きく見直され、こういう新しい流れが出てきたということ。
表の世界では規制改革だとか外国人がやってきて日本の会社を乗っ取って滅茶苦茶やってきたがこれも消えていくわけだ。
これで残っていく新しいフレームワークがこれ。この世界は精神性の高さが重要となる。見えないものの価値や良さを見出していかないと無理。

だから、このあたりが担い手が違う。見えないものの価値が分かる人は昭和の異常な近代化や金儲けには嫌悪感を持っていた。彼らはマイナーだった。むしろ即物的な人、目先の金儲けがメジャーだった。これが反対になる。このあたりが主役の交代。だからレベルの高い世界になるからちゃんと勉強しないとね。精神性の高さを勉強しないと追いつけないし、追いつけないといつまでたっても悶々とするような世界になってしまうんじゃないか。

「かつて地方はこれだけ個性的だった」

これは昭和43年に私が親に買ってもらった図鑑である。これを見ると驚くべきで、かつて日本はこれだけの個性があったというのが分かる。地域の特産物は昔はたくさんあった。同じものを作る必要はないが、地域おこしは定住を増やしていくことだから仕事が必要。その仕事はやはり特産物だと思う。下から積み上げていって地域の経済を支えるものが商品となるのだから、特産物はその地域の良さと人々のニーズをつなぎ合わせる事だから、その地域だけではできず、よその人をつなぐことが求められる。買い手と売り手をつなげていきながら作るのが地場産業。
今見ているとネット通販で二本だけでなく世界でモノを売っていることが珍しくなくなった。人々は世界の色んな地域の面白いものを求めている。地域と世界の消費者・取引先をつなぐことは容易になった。これはネットの効用と交通の発展によるもの。そういう意味では特産物を作るというハードルは大きく克服された。

また昔は地域ごとに気候や風土が違ったので家の形もだいぶ違っていた。今は気密性と断熱性が高い家が良いと言われているが、地元素材である程度寒く温かい家が暮らすような生き方がこれから主流になるのでは。
古民家を現代風に生かして暮らしていくということもできる。なのでいかようにでもなる。地域の特産物を活かしながら家も作れる時代。衣類も地域によっては草木染など個性もでてきた。食べ物は地域によって既に結構ある。なので衣食住全般に個性化は広がってくると思う。

「町は町らしく、村は村らしく」

昭和30年から40年代はじめの光景。大都市があって中小都市があって田舎、農村、漁村、山村。こういう一つのコンパクトにまとまった地域が理想なのだろう。一つ一つの町は10万~15万位の町にすると住みやすいらしい。それくらいの町を全国あちこち作っていくのが住みやすいと思う。それぞれ個性的な街づくり。結果的に町は街らしく、村は村らしく戻ってきて、役割分担しながら戻ってくると思う。なかなかすぐには出来ないが、今の家が耐用年数を超えて人口も減ると、都市計画も変えざるをえない。一番自分は注目している分野。

「身近なところでモノが作られていた」

耐久財と非耐久財があって、家庭の中でそれらが身近などこから来ているか。一時期世界で創ったものは世界の隅々まで行くからグローバルでいくから気にしなくていいと言われていた時代があった。コロナで物流が止まりモノが作れない、あれがないこれがないとお手上げになった。どこからモノが来ているかは非常に重要。サプライチェーンが長いと問題だから短く身近に作っていかなければいけないとなってきた。

「エネルギーの使い過ぎで消えた人間性」

昭和35年だと平成12年の1/5、昭和40年だと平成12年の1/4。今はエネルギー過剰状態。自然に近い生きかたをするなら人為的なエネルギーを減らした方がよい。今はとにかく大都市を中心に莫大なエネルギーを使うことが進化だ文明だと言っていた時代は終わった。今はエネルギーの制約が大きいのだから、エネルギーの利用を減らしながらより自然を感じながら人々は生きていった方がよい。

「日本と世界がいま追い求める理念」

ロハスという言葉でてきたのは1999年アメリカの本。新しいタイプの消費者が現れたという事実がアメリカの本で紹介された。私が観光立国を言い出す際の下地がロハス。これが世界中に広がり中国の富裕層はロハスが好き。観光や健康の一番下にはロハスが入っている。

「今後の日本と世界の方向性」

中央政府がどうにもならないが地方は活性化して官民で一緒にやっているところもあり、こういう流れは続いていると思う。

「行き過ぎから戻ってやり直すという思想」

会社の経営もそうだがやりすぎたと思ったら戻ってやり直すと大体うまくいく。気が付いたらすぐ戻る。

「本来、地域にはたくさんの仕事がある」

地方に行くと仕事が本当に少ない。しかし、本来地域には様々な仕事がある。若い人も年配の人も色んな特技があるのだから全ての人が働けるような環境を用意しないとダメ。一部の人しか働く場所がないとか働くチャンスがないとかやってるから社会が滅茶苦茶になる。多様性をとりもどさないと。

「都市は時代とともに形を変える」

逆に都市は時代に合わせて形を変えるべき。その役割も時代により変わる。人々はどんな街で暮らすことが最適なのか、よく都市は都市で考えていなければいけない。このままいくと下手すると全部スラム化する。都市は衰退するとほぼ確実にスラム化して人が住めなくなる。やがて泥棒窃盗殺人放火となり誰も住めないゴーストタウンとなる。そうなる前に形を変えていかないと

「仕事の原点」

ひたすら作業をすることでもない、獲物をとることでもない。自然と共に生きていくということ、これが仕事の原点

「政治の原点」

政治の原点とは椋鳩十先生の詩に集約されている。政治は日本人みんながやる物。この国は誰かに頼るような国ではなく、治めずして治まる国だから、地域で色んな人が良く考えて行動するとこういう地域が生まれてくる。自分たちでやっていくのが政治の姿。

「地域振興に欠くことのできない力」

私が考えたものである。こういうものがないと中々未来を作れない。

「みんなで力を合わせて立て直すとき」

これらが全部合わさって日本もまともになっていくのだと思う。令和はこれらの流れが全部一つにまとまっていく時である。
これからの戦略の話はもう時局で言った通りでこの流れは変わることは無い。崩壊の実況中継はネットの方でやるが自分の足元に水が来るだけでそれそのものが価値があるとは思わない。自分が何をするかだ。
平成のマイナーが令和のメジャーとなり、それが次の何かが生まれてくる。それはおそらく精神性の高さによるものだと思う。もっと発展する。ここは是非未来志向で行動していただきたい。
乱世の生き方についてはたまり場のことも話しているし、仲間の大切さもあるし、NSPでも場は用意しているので活用できるなら活用してほしいと思う。皆さんそれぞれに仲間をえて行動してほしい。
それと最後に農村と土の話をしたが、失業者に限らず今の生き方がまずいなと思ったら、バッファはたまり場と仲間である。相手の価値観とのすり合わせが大事で無理することは無い。自分にあうところから始めて行けばいいし、変化していくことも当然だから、あまり一つに固まって考える必要もない。自分なりに色々試してみて新しい仲間を得ていけばそれがバッファになって次を作っていくと思う。
未来が見えてないとこんなに切ない話は無い。思考停止、行動停止でうずくまってそれっきりになってしまうので、ぜひそれは皆さんよく考えて発想と行動を切り替えていただければと思う。

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