お客様とお会いする際は原則としてマスク非着用です、その理由

概要

当事務所では、新型コロナウイルス対応として下記の方針に基づき行動しますので宜しくお願いします。

弊所では、お客様との面会時に原則としてマスク着用はしません。また、対面させていただくお客様へもマスク着用を期待していません。

理由は下記の通りです。

日本でマスク着用は義務化されていないため。マスク着用による感染防止対策への効果は限定的であり、自身の持病であるパニック障害の悪化や夏場は熱中症などのリスクがあるため。保健所による濃厚接触者の特定は行っていないため

マスク無しで面会することに対して、何も感じない方もいれば「え?」と驚きを持たれる方もいらっしゃいます。
また、以前にメディアで取り沙汰されたマスク警察など、一部の取り分けセンシティブな方(過激な反応をされる方はいないと信じていますが・・・)が万が一いることも想定し、長い理由を沿えてこのポリシーを書こうと思った次第です。

理由について詳細に説明します。

それぞれの理由について

日本では(今まで一度も)マスクの着用を義務化していない

そもそもの前提として、日本でマスクの着用は義務化されている、あるいはほぼ義務化されている状態に近いのだと誤解があるかもしれません。答えは、職業上の制限があるような場合を除き、マスクの着用は義務ではありません

すでに報道でご存じのとおり、殆どの諸外国、特に西欧諸国では2022年初頭よりマスク着用義務を解除あるいは大幅に緩和しています(ヨーロッパの例)。これらの背景にはマスク着用が法律や条例で義務となっていたという事情があります。

司法の世界では、公共の福祉のために個人の権利が制限される事例があります。例えば、ダムや飛行場の建設など、それにより利益を受ける人々が多大であり、そこに住む少数の住民の権利より優先されるべきだから、住民の反対を退けて建設を許可する、という裁判が下ることがあります。この公共の福祉を優先するという概念に基づいて、西側諸国では私権を制限してでも強力な行動規制をかけていたというのがバックにあるようです。

一方で日本においては、COVID規制に従わない人を逮捕したりするような法律的強制力を持った規則は存在しません。
マスク騒動は、換言すると公共の利益(例えば店は感染者を出したくないため客に対策ルールを守らせたい)と個人の利益(その店で客は自由に買い物がしたい)が衝突する問題です。
これについて日本の司法はどういうジャッジを下すのかは、仮にマスクの着用をしないでお店に入ったことでトラブルとなり、店から訴えられたor店を訴えた裁判が出てきて、その裁判の結果を待ってみるしかありません。これが最高裁まで行けば司法トップの見解がわかるわけで興味深いとは思いますが、このテーマでの裁判事例は存在していないようです。

したがって、日本ではマスク着用が義務化されていないため、個人の権利としてマスク着用しないという選択肢も普通に存在することを忘れてはいけません。

ところで、「マスクを着用しないと入れません」といったお店を見聞きする当たり、実質的にマスク着用を強制しているのでは?と疑問を抱く方もいると思います。
店側がお客に強制力をもって命令が出来ると信じているのか、あるいは強めの口調で表現することで協力をよりお願いできると思っているのか、定かではありませんが、とあるサイトの弁護士の解説によると、日本の法律では他人にマスク着用の強制を行なうことは難しいのが結論だそうです。

お客様に対し、マスクや手洗い、アルコール消毒を物理的な力を用いて強制することは、刑法上の強要罪(刑法223条)や暴行罪(208条)などにもあたり得るものと思われます。

よって、マスクや手洗い、アルコール消毒を物理的な力を用いて強制することはできないものと思われます。

顧客や入場者にマスク・手洗いを強制できるか – 企業法務リーガルメディア

「マスク未着用のお客様の入店はお断りします」
このような張り紙があるお店では「強制では?」と感じるのがごく普通の心情で、「仕方ないからするか」とこの店にマスクをして入った場合、これはあくまで店側のお願いに応じてお客様が自主的に協力していただいた、という形になるため結果として強要にならないのだ、という解釈も成立しそうです(ちょっと癪に障りますが)。
しかしながら、あなたがノーマスクで入店して店主が物理的に威圧をしてあなたを排除した場合、これは強要罪に該当しそうです。

また、以上の議論とは別に、マスク着用者と非着用者を差別することは憲法で保障している人権の侵害になる可能性があるようです。

やはり、日本では感染予防対策は個人の協力ベースであり義務や強制ではないことには変わりありません

なお、このような記事を書いていることから分かると思いますが、弊所では感染対策に関してお客様に強制のようなお願いをすることは一切ありません。もちろん、マスクを着用するなと言っている訳ではありませんので、してもしなくても一向に構いません。それは個人の自由です。

マスク着用は感染予防のための対処療法的手段の一つに過ぎないため

健康意識に対しては各自考え方が大きく異なるものです。以下はあくまで医療関係者ではない私の個人的な信条です。

新型コロナに限らず風邪やインフルエンザなど各種の感染症に対しては、睡眠をしっかりとる、不摂生を控え体に良い食べ物を取り入れ、運動をして体力低下を防ぐなど努め、基礎免疫を上げることが肝要だと思われます。

医療団体などの公衆衛生の権威筋は、マスクを着用することが、手洗いやうがいの徹底、人込みを避けることと同列に、感染予防に効果があると訴えています。しかしながら、これらは対処療法的な対策の一つに過ぎないと私は思います。
予防という観点をとるならば、風邪であろうが麻疹であろうが、そういった病気全般にかからない自己免疫の強い身体を作ることが、根本的に大事な心掛けであるような気がします。

ワクチンの接種有無が見かけではわからないのに比べ、マスクは「予防意識がありますという」視覚的アピールの効果がありますので、マスクを付けていないと、相対的に感染対策への意識が低いとみなされるやすいのかもしれません。
しかしながら、マスクの着用は感染予防に関して絶対的に効果がある訳ではなく、その人の免疫が低ければ何処かしらで感染し、病気のキャリアーとして機能してしまいます。
事実、日本ではこれだけ多くの人間がマスクの着用を数年間徹底していたにも関わらず、コロナの感染流行は抑えられませんでした。

従って、対処療法的対策よりも抜本的対策である免疫力の向上が大事であるという意識から、マスク着用による予防効果はあくまで限定的であるという意見を持っています。
感染流行したここ数年は、特に健康意識を高めて身体作りに努めていますので、私にお会いした際には具体的に何をやっているか聞いてみてください。

マスク着用により熱中症の発生や持病(パニック障害)の悪化が懸念されるため

私は軽度のパニック障害による自覚症状があります。対面時にこちらから長く会話を続けていると、息苦しさにより動悸や吐き気などの発作が起こることがあります。また、電車やタクシー、エレベーターなど自分の意志で身動きがとれなくなる閉鎖空間はあまり得意ではありません。マスク着用をしての長時間の活動は息苦しさを増長させ、パニック障害の発作が起きた場合の症状が悪化します。当然、お客様にも迷惑がかかります。

障害や持病のためにマスク着用が難しい人々は一定数社会に存在します。自治体によっては、こうしたマイノリティーの人々の存在を周知するためにお知らせをしているところもあります。マスクを着用できない人がいることに対して、社会全体の理解が求められると書かれています。
【藤沢市】マスク着用の考え方と子どものマスク着用について(令和4年5月20日時点)

マスクをしていない方に対して、厳しい視線を向けたり、心無い批判をするのではなく、まずは「何か理由や 事情があるのかもしれない」と想像してみてください。

藤沢市 健康医療部 保健予防課新型コロナウイルス感染症対策担当

<他自治体>
【つくば市】マスクを着用できない方への御理解をお願いいたします
【練馬区】マスクをつけられない方がいます~皆様のご理解をお願いします~
【佐賀市】マスクを着けられない方への配慮について

また、2021年までは緊急事態宣言の影響により8月前後の夏の盛りに面会することは殆どありませんでしたが、今年からは暑い時期に面会をする機会が増えてきます。そうなると懸念されるのが熱中症です。当たり前ですが、マスクをつけたままでの夏場の活動は熱中症の危険が増大します

保健所による濃厚接触者の特定は行っていないため

新型コロナウイルスに関して多くの方が心配されていることが、身近に陽性者が出た際に自分が濃厚接触者と特定されるリスクだと思います。濃厚接触にあたると医療機関での隔離により社会活動に制限がかかるため、その期間働けず収入が得られなくなったりなどのデメリットがあります。
この濃厚接触者の認定は保健所が行なっていました。そのため、飲食店などにおいてクラスター発生時には芋づる式に濃厚接触者が特定され、店は社会名声上の傷を負うなど事業者側はかなり戦々恐々となっていました。

しかしながら、現時点(2022年6月)において保健所が濃厚接触者の特定を行なうことはしていません(医療機関と社会福祉施設は除く)。

濃厚接触の定義には2つありまして、同居家族が医療機関で陽性判定を受けた場合と、家族以外で陽性者と接触し、その陽性者の症状発生から2日前までに接触した場合の2つがあります。
後者のケースについては、保健所など行政が介入して濃厚接触を特定(レッテル貼り)することはしていないため、陽性者が出た場合には、関係者が連絡を自主的に取り合いながら、その個々人が濃厚接触者であるかどうか、各自で”推定”判断することになります。濃厚接触にあたると判断した場合、医療機関の受診を仰ぐ形となります。

ちなみに、体調を崩して私が陽性者となる確率はどうなんだ、という質問に関しては、人生で感染症にかかった経験は、10代と20代の時にそれぞれ1回ずつインフルエンザになったことがあるのみとお答えしておきます。

健康には気を付けています

以上のように述べて参りましたが、これらは決して感染対策が無意味と主張している訳ではありません。私自身は体調管理に気をかけていますし、健康状態に問題がない事を確認してからお客様の元へ訪問させていただいています。基本方針として、感染予防にはまず自己免疫をあげることが大事だと考えています。

無症状で感染を広げているという疑惑をもたれた場合、これに関してはマスクを着用して飛沫を防ぐことは一定の効果があるので、上で述べたいずれの理由も響かなかったかもしれません。

しかし、これは恥ずかしながら私の素朴な疑問なのですが、無症状で誰しもスプレッダーのリスクがあるというのであれば、全ての人間はコロナの潜在的感染者とみなされる訳ですので、家族や友達、恋人との付き合いも不可能な気がします。家庭を持たれている方でしたら、常に2M以上距離を保ち、家では常にマスクをし、食事は常に無言で摂る。夫婦や親子供とのスキンシップはなし、ということになります。

メッセージ

新型コロナの流行に伴い、感染対策の名目で各種の行動制限がかけられました。コロナ明けで解除されてはいるものの、見えない制限があるような日々はまだ続いています。

ワクチン接種など感染対策を自主的にどこまで講じるかなど、感染対策の為に個々人がどこまで取り組むかについては、生活環境やその人の考え方が影響するため個人差が大きいものです。思いやりとは同調圧力ではないはずですが、行動制限を及ぼす一定のルールが社会の見えない軋轢を生み、世間に生きづらさや閉塞感を漂わせている原因ではないかと私は疑問に感じ始めています。
なぜ、たかだか一個人事務所の運営主でしかない私が、ここまで長い説明を書いたのか、その背景についても推し量っていただければ幸いです。

ついでとはなりますが、これからの社会に光明をもたらすのは明るく温かい価値観だと思います。この案内をご覧になられて様々な思いを抱かれたかと思います。人によってはネガティブで複雑な感情を想起されたかもしれません。逆に気づきを得られた方がいるかもしれません。

いずれにせよ、社会が多様な考えも尊重し、細かい価値観の差異に目くじらを立てず、お互いに尊大な心で許容しあえる方向へ成長発展していくことを私は願っています。

社会生活の中で,自分とは違う行動をする人,自分とは異なる考え方の人に出会うことも,少なくありません。そのような場面に遭遇すると,違和感を覚えたり,釈然としない気持ちになってしまうこともあります。ただ,そこで少しだけ立ち止まって,そのような人たちに対する自分のそうした感情が,誤解や思い込み,無自覚な差別意識・偏見などによる過剰な反応から生まれたものではないかを考えてみることが,お互いを尊重し合う社会であるために必要なことなのではないでしょうか。

自粛警察と誤った正義感 – 法務省